THE ROAD TO BECOMING A TRANSLATOR
翻訳家への道のり

Mihoko先生の翻訳家への道のり

本職はフラワーデザイナーですし、自分のことを「翻訳家」だとは思っていません。ですが、今の私の生活や仕事があるのは人とのご縁のおかげだとつくづく感じています。

英語との出会いは早かったです。だれもがジャニーズのアイドルに夢中になっていた子供の頃、私の幼馴染みは洋楽を聴いているような一風変わった子でした。彼女が勧めるままに流行りの洋楽を聴いてみたら、英語の音やリズムがとても新鮮でおもしろく、歌詞の意味も気になって、自宅にあった親の英和辞典で幼いなりに英単語の意味を調べたりしているうちに英語が好きになりました。大学進学の際は迷うことなく外国語学部を選びます。語学の他に花や植物も好きだったので、フラワーデザイン学校へも通い、ダブルスクールの大学生活を送っていました。

そんな大学生の頃、英語とロシア語の語学研修で滞在したヨーロッパの地で、どうしても超えられない外国語の壁にぶつかります。どうやったらネイティブ並みの英語を身につけることができるだろうかと試行錯誤しました。ネイティブや帰国子女に英語を習ったり、通信で翻訳講座を受講したりもしてみます。でも納得がいきません。その頃はネットに接続すればネイティブと繋がれるような時代ではなかったので、外国語を直に感じて学ぶには、その言語を母国語とする環境に飛びこむしかないと思い至り、渡米を決意。語学留学のためニューヨークシティの大学へ通うことにします。

ニューヨークではたくさんの貴重な出会いが待っていました。その大学のマスター過程に進学するかどうか悩んでいるとき、友人からフラワーデザインの仕事に誘われ、生活が一転。パーティ・コーディネイターの元でフラワーデザイナーになりました。留学だけのつもりが、キャリアを築くチャンスと生活の基盤となるものをニューヨークシティで見つけたのです。

人との繋がりで得たものはフラワーデザインの仕事だけではありません。知り合いに、日本で先行発売されたジャズ・アルバム用ライナーノートの日英翻訳を頼まれます。これが翻訳の初仕事。そこから口コミで翻訳の仕事が入るようになります。その後、結婚し、子供が生まれ、家族の成長とともに地域社会との関係も深まり、子供の学校やママ友を通じて通訳を依頼されたり、アメリカの子供たちに日本語を教えたり、ニューヨークにいる日本人に英語を教えたりするようにもなります。フラワーデザインをしながら、時間の許す限り言葉に関わる仕事をしてきました。

日本を離れてから日本人であることをより強く意識するようになり、日本を誇りに思うようにもなりました。そして日本語の美しさと奥深さもあらためて実感しています。言葉は生きて進化し続ける文化。常に新たな発見があります。私にとって、いまどきの新しい日本語についていくのは大変なのですが、振り返れば、そんな言葉の世界に、あの幼馴染みと洋楽を聴いていた頃からハマってしまっていたんだなぁと思います。 

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